幕末・明治期 手彩色古写真 【はふやホテル】富士屋ホテル・前身 横浜写真 鶏卵紙 販売済み 古写真 明治 箱根ホテル 篭 宮ノ下 異人館

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【はややホテル】サイズ 縦20,5×27㎝ Caption№ B86 キャプションには「B86 KAGO TRAVELLING CHAIR」と記載平成19年「日本写真家協会賞」受賞の テリー・ベネット氏 著書 『 PHOTOGRAPHY IN JAPAN 1853-1912』コレクションデータガイドブック によりますと当古写真は鹿島清兵衛ないしファルサーリの作品と推定しています。箱根ホテルの前身は箱根の関所があった時代からの「はふや」が前身でした。昭和 33年発行の「富士屋ホテル80年史」にその詳細が記されています。 江戸時代から続いていた「はふや」は明治初年の外人旅行記にも常に名の出るホテルでしたが、実際のところ旅館と言うべき施設でした。創立当時から外国人が泊まることが多かったことから「異人館」とも呼ばれ、創立者高瀬白郎衛門氏から四代目にホテルニューグランドにその名を残した「野村洋三氏」の所有となり、この地を将来の有望性を見抜いていた富士屋ホテルの山口正造氏〔仙之助の養子]によって買収され、 大正 12年1923) に「箱根ホテル」として新たなるスタートを切った。山口仙之助 富士屋ホテル創業者 明治 4年、20歳で米国に渡り、将来は牧畜事業がわが国に有益であることを信じ、苦労の末に蓄えた資金で7頭の種牛を購入し帰国。慶應義塾に入学し、福沢諭吉に国際観光の重要性を説かれ、牛を売却して得た資金を基にホテル業を決意。1、在日外国人の憧憬の的が箱根・富士山であること2、東京、横浜から近距離にある景勝地であること3、温泉が湧き出ていること以上 3点の立地条件を備えた箱根・宮ノ下にホテルを開業。 箱根の山道を登る独自の交通手段 チェア 道路を開通させてようやく人力車が宮ノ下まで通れるようになったが、急な山道を登るには人夫が二人必要であったため、椅子に棒をくくりつけて運ぶ「チェア」が発案された。4~6人の人夫によって担がれ、春秋のシーズンには宮ノ下より箱根を一周するチェアが70程あり、それを担ぐ300人近い人夫が毎朝ホテル本館の前後を取り巻いていた。 コンディション 明治初期の作品ですが写真は鮮明で焼けも僅かです。 写真下部籠担ぎ手の足元に剥がし跡なのか二か所剥げが見られます。 1 00数十年前の作品です。経年劣化があることを予めご了承ください。注意事項・4日以内にご連絡のない場合は「落札者都合でのキャンセル」とさせていただきます。・評価内容が悪い方、新規IDで評価のない方につきましては当方の判断で入札を取り消しさせていただく場合がございます。・出品物につきましては状態などご不明の点はご質問の上、ノークレーム・ノーリターンにご協力をお願いいたします。・掲載画像は使用端末の環境によりまして明度やコントラストに微妙な違いがでることがあります。・着荷の日時指定はできませんのでご了承ください。・ご落札品の発送は通常代金決済日から2~3日ですが土曜、日曜、祝祭日、お盆、正月は暦通りのお休みです。発送日はその都度ご連絡を差し上げます。

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