★相撲画家 松岡リン「横綱のお風呂」リン・スターム・レビィ画集「相撲の世界」より オフセット 限定500部シートサイズ 29.7×39.5cm状態良好1979年8月 大鰐町横綱のお風呂ある時、夏の巡業中に私は、お相撲さんが風呂にはいっているところを写生してみようと思いついた。カレンダーのことも考えて、それには横綱が一番いいと思った。だが、その主題を誰かにぶつけたとしても、みんなは冗談の種にするだろうし本当に私が一緒に風呂にはいるのかと思ったりしないかと心配になった。私は、自分の不十分な日本語のために発生しそうなあらゆる問題をよく考え抜いた末、若乃花に当たってみようと決心した。あれこれ思いわずらうことから抜け出すのに何日もかかった。私は用心しいしい横綱にたずねてみた。ところが、彼のなんら気にしない態度によって、たちどころに私の懸念は一掃された。私に即座に浴びせられるはずの冗談もとび出さず、救われた。彼は、巡業で故郷の大鰐町に行くまで待てと言うの次の週、我々はその町に到着した。そして稽古が終わってから、私は横綱や付人たちと一緒に、立派な"旅館"へ行った。そこでは、横綱のためにすばらしい風呂場が予約されていた。彼が体を洗い終わって、風呂につかったとき、付人の一人が私を風呂場へ呼び入れた。若乃花は、時間は5分間だけだ、熱いので早く出たいと言っていた。後ろの鏡には、横綱に付き添う三人の付人の姿が見える。YOKOZUNA"S OFUROOwani-machi, August 1979Sometime during the summer tour I got the idea of doing a drawing of a sumo san in the bath. I thought doing one of the yokozuna would be best, as I was thinking of the calen dar. But I was afraid that if I even brought up the subject with any of them, they might make a joke out of it and infer that what I was really after was getting in the bath with them. I weighed all the possible problems, along with the fact of my inadequate Japanese, and decided to approach Wakanohana. It took me days to get up the nerve. I ap proached him very defensively but was immediately disarm ed by his completely matter-of-fact attitude. No jokes that put me on the spot, and I was so relieved. He suggested we wait until jungyo went to his home town of Owani-machi The following week we arrived there, and after keiko I traveled with the yokozuna and his tsukebito to a beautiful ryokan, where the entire tremendous bath was reserved for him. When he had finished washing and had entered the bath, one of the tsukibito called me into the room Wakanohana said he could only allow me 5 minutes becaus the bath was so hot and he wanted to get out quickly In the mirror behind him can be seen the image of the three tsukebito who were attending the yokozuna.作家略歴松岡リン リン・松岡リン・スターム・レビィLynn Sturm Levyリン松岡(Lynn Matsuoka)1946年ニューヨーク生まれ。テンプル大学タイラー芸術学科で学び、1969年にフリーのコマーシャルアーチストとしてスタートする傍ら、視覚芸術学校でジャックポッタに師事。全米の著名雑誌やTVネットワークの仕事で、ニューヨークからフロリダ、カリフォルニアと移り、最後に東京に来て相撲を見い出した。1974年から相撲を学び、描くようになり、1980年の日本相撲協会のカレンダーは彼女の作品でつくられ、豪華画集「相撲の世界」も発刊。大相撲のポスターも手がける。現在ニューヨークにてスポーツや音楽をテーマとした作品を制作。彼女が描いた相撲作品は、相撲の歴史の記録としても貴重なものです。著者「鬢付の匂い―相撲とわたし」